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巡礼の歴史

なぜ世界各国から人々は巡礼にやってくるのか。長い歴史を紐解いてみましょう。

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、ローマに並ぶキリスト教の3大巡礼地の一つです。なぜ
ユーラシア 大陸の西の果てにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラに人々は巡礼に旅立ったのでしょうか。
簡単にご説明します。

St.Jacob

  聖ヤコブ像

出展:FERDINAND
 STUFLESSER       1875


キリストの死後、ヤコブ(スペイン語名:サンティアゴ)はスペインでキリスト教の布教活動をしていましたが、紀元44年、エルサレムに呼び戻されたヤコブはその地で首を斬られて殉教しました。キリストの復活を知っているユダヤの王はヤコブの復活をも恐れ、彼の遺骸を埋葬することを赦しませんでした。


彼の死を悼んだ弟子たちは彼の遺骸を舟に乗せ、風の向くままに任せたところ、その航海の末にたどり着いたのがガリシアの海岸でした。その舟はそのまま川を登り、イリア・フラビア(現在のパドロン)に流れ着きました。しかし、その後彼の亡骸は行方不明になり、長い間その存在も忘れ去られたものになっていました。


月日が流れ、9世紀初頭、813年に星の光に導かれた羊飼いによってヤコブの墓が見つけられました。(ペラヨという人物が見つけたとの説もあり)
その墓が見つかった場所に、アルフォンソ2世が教会を建立し、コンポステーラと名づけられました。 カンポ(野原)、ステーラ(星の)という意味の名前です。

Alfonso

  アルフォンソ2世像
  出展:Tras Pasos de Rei
  (Asturias en el Camino de Santiago)


ヤコブがスペインでキリスト教の布教活動をしていた
ことはヨーロッパ中でも知られていましたし、ちょう
どイスラム教が台頭してきた時代で、エルサレムや
ローマへの巡礼が困難になっていたこともあり、
ヨーロッパ中の人々がサンティアゴ・デ・コンポス
テーラに向かって巡礼の旅を始めました。
12世紀には年間50万人もの巡礼者がこの地を訪れた
ということです。

ちなみにエルサレムに巡礼するものの事を「パルミエー
リ」(椰子の葉を持ち帰ったことから)、ローマに巡礼
する者を「ロメイ」、そしてサンティアゴ・デ・コンポ
ステーラの巡礼者は「ペレグリーニ」(ラテン語ペリグ
リーヌスから「野原を通ってきたもの」→「旅人」)
と呼ばれています。

 


Catedral

         サンティアゴ大聖堂

また同じ時期、イスラム教徒に占領されていた国土を取り戻す運動(レコンキスタ)がスペイン国内で起こっていて、キリスト教を守る使徒の出現が望まれていました。

そして844年のクラビーホの戦いで白馬に乗ったヤコブが現れ、劣勢だったキリスト教軍を助けてイスラム軍を蹴散らした、ということでヤコブは「マタモーロスのヤコブ(モーロ人殺しのヤコブ)」と呼ばれ、スペインでのキリスト教の守護神となり、シンボルとして祀られることになりました。